芋供養訪問記

2005年10月13日

10月13日、「イモ供養」というお祭りにでかけました。
参加メンバーは、Dさん(この日のために年休をとった公務員)、Iさん(自営業の建築士)、そして私西川でございます。

秋晴れがひろがる絶好の供養(?)日和。川越駅東口に集合した3人は、一路会場の妙善寺へ。
準備に手抜きのない公務員Dさんがすでに観光案内所をたずね、方角と様子を確認しておいてくれました。さすが。
さらに「100人先着順で供養した健康いもほかいろいろもらえるらしい」とのことで、3人の足取りはいやおうなく速まった。


歩くこと7分。すぐに妙善寺はみつかった。とくに特徴があるわけではない普通のお寺さん。
今回の目的は、もちろんお芋を供養し、無事にヤキイモタイムプロジェクトが各地でとりおこなわれるように祈願すること。

お寺に到着してみると、すでに多くの参加者の方が集まっていた。ちょうど100人ぐらい。
予想通り平均年齢は、年金受給開始年齢か。若い頃、本当にサツマイモにお世話になった方々にちがいない。
行列が見える。「行列は並ぶのが筋」だろうということで、とりあえず並んでから「この行列ってなんですか?」と聞いたが、聞かれたひとも「さあ」との返事。ま、そんなもんだろう。

会場にはNHKさんとケーブルテレビさんが取材に来ていた。すごい。他にも新聞社が数社。
主催者の方が驚かれていた。近年にない人手だそうだ。


無事、受付を終えてさあ、いよいよ供養開始。
はじめに、あいさつに立たれた実行委員長さん。
さつまいものような親しみやすいお顔に豊かな表情を浮かべて一生懸命お話になっていた。
委員長さんはお寺のある、川越の仙波で育ったそうで、
「朝たき火をして、いもをつっこんで、学校へ行くんです。昼いったん家に帰って、つっこんでおいたヤキイモを取り出して食べました。そのヤキイモの味のおいしかったことはいまでも忘れられないのです」としみじみおっしゃっていた。
おいしかったんだなあということがわかるような、気持ちの入ったいいお話だった。

つづいて、はじめて(254年前の話!)埼玉にニベアカ(サツマイモ)を導入した、三芳町の吉田さんのご子孫さんをはじめ、招待者の方のご紹介などがあった。
もともと所沢・三芳方面で広がっていたサツマイモ栽培は、新河岸川によって川越にあつめられ、江戸に送られたという。ゆえに川越がイモの産地として有名になったのだそうだ。
江戸時代後期、江戸では焼き芋が庶民の間でおおはやり。焼き芋のことを川越芋と呼んだそうだ。
日本へは1605年、中国の福建省から琉球に伝来。1705年に薩摩に伝えられたというわけで、今年は400年記念でもある。
もちろんヤキイモタイムプロジェクトが、この400年記念にあわせて実施されることは……いうまでも……ない。ということに後付で説明することにしようと密かに決意。
しまった、今印刷中のチラシに「伝来400年」と入れるべきであったと後悔。

このあたりの焼き芋の歴史については、今回、このいも供養を主催する「川越いも友の会」さんが発行された新刊「焼き芋小百科」に詳しい。
さらにちなみに私が今回この「いも供養」を知ったのは、たまたま新聞でこの「焼き芋小百科」の出版の記事が掲載され、これはぜひ入手せねば、と電話したところ「会員向けなので市販はやってませんので送れません」というお返事。「え?ではなぜ新聞記事で広報を?」と思いつつ、しつこく聞くと、「10月13日に、いも供養がありますんでそこで販売します」と聞き、それで私はこの本を入手しにわざわざ川越に足をむけることにしたのでした。

「焼き芋小百科」には、「いも類文化学ノート no.3」とついてる。1984年創立の「川越いも友の会」さんは、すごい。たくさんの研究成果を何冊もの出版物をだしていらっしゃる。市民の調査として、なんて地道な、しかし確実な仕事だろうと感心する。
 
……(永六輔さん土曜ラジオ風に)話をもどしますね。
でいよいよ、読経&お焼香。メンバーもそれぞれお焼香した。何を祈ったのかはきいてない。
本来は、貧しい時代に人の生命を維持してくれたこと、今の健康をつくってくれていることに感謝しようというもの。(←これがいも供養の主旨だそうです)
戦争中あるいは終戦直後は、子どもたちは毎日イモを食べさせられたらしく「もう二度とさつまいもは食べたくない」と言う人も少なくない。ちょうど私の親の世代の方でそうおっしゃる方に時々出会う。

さて、その後は、座敷に移動。
座敷のほうでは、「川越いも友の会」の会長ベーリ・ドゥエルさんの「オイモ法話」
ドゥエルさんがこれまたおやじギャグも入れてのかなりベタな芸風で、一同を笑いのような苦笑のような非常によい雰囲気にしてくださる「法話」だった。
「ミナサーン、オイモ、ドコカラキマシタカー」と。
もっと聞きたかったのに、すぐおわってしまった。残念。

このほか、商工会議所さんとか、観光協会さんとか、関連事業者のみなさんの挨拶もつづいたが、なんだかどの方もゆるキャラというか、いい人&おもしろい人ばかりで、これってオイモ関連のつながりだからだろうかと思った(芋蔓式?)。

その後、奉納芸能と称して、地元の芸人さんが、がまの油売り、武田節、津軽三味線、南京玉すだれなどを大汗かきながら連発。
その間、私は、ヤキイモタイムのチラシの入稿を電話で調整したり、庭で焼き芋を売っていた焼き芋おじさんの井上さんとお話をしたりしていました。


井上さんは、会社を退職したあとオイモをつくる一方で、月に二回は、川越の駄菓子屋横町で焼き芋を売っているそうです。話好きでとても楽しそうです。ニコニコと。なんだかそれだけでも幸せな気分になれる焼き芋屋さんでした。ホームページはこちら。
私は井上さんに「なんでまた焼き芋なんですか」「なんで芋なんですか」としつこく聞いてしまいました。
井上さんは、いやな顔ひとつせず「いやあ、このベニアカの花にみせられましてねえ」とおしゃっていました。名刺にも花の写真が印刷してありました。
花はこちらにあります。


井上さんは、このヤキイモタイムプロジェクト、おもしろいねえ、といってくださいました。
なにかあったら協力するよというお言葉をいただきました。感謝。
ヤキイモ指導してもらおう、とまた勝手に密かに決意。

その後ベーリ・ドゥエル会長さんに名刺をもらおうとアタック。東京国際大学の先生でアメリカのご出身。「サツマイモ博物館ってこの近くですか」とあつかましく質問をしたら、ものすごく丁寧に教えてくださり、川越サツマイモマップまでいただいちゃいました。西洋人オー、ベリーナイスジェントルメン。
来年、ぜひヤキイモ会場にきてもらって、お話してもらいたいなあと密かに決意。

というわけで、非常に濃いキャラクターのよい人たちばかりのいも供養も終わり、家路についたのだでした。(といいつつ実は、ちょっと3人でお茶して、感想を出し合いそれぞれの興奮を沈めクールダウン。どうどうどう。さらにちょこっと父親子育て談義)

よし、これでこれで各地のヤキイモは、成功まちがいなしと確信し、本当に家路についたのでした。

川越いもの会の皆さんに感謝。

*追記
「焼き芋小百科」は、市販していないそうです。
 実は、ヤキイモタイム開催地のみなさんにお礼に配ろうと思って仕入れるつもりで出陣したのですが、まったく在庫を用意していないようです。当日用意された50冊あまりは即完売だそうです。
 事務局長の山田さんに「WEBなどで、といあわせさきを書いてもいいですか」といったのですが「在庫ないんです。お金ないんで、必要以上印刷してないんです」とのこと。
 しかしこの冊子充実してます。
 ヤキイモの由来、日本一のヤキイモ大会、正しいヤキイモのつくり方などなど、ちょっと笑えます。
  私がみたところ、山田さんもめぽう面白い人に違いありません。
  本の最後の「焼き芋早わかり解説」というページに、山田さんが書いているのですが、「電子レンジ」の説明で、「マイクロ波という電磁波により、イモ内部の水分子を振動させて急速に加熱する(短時間加熱のため、甘みは少ない)」とある。「電子レンジでチンの場合は、甘みが少なくなる」と書けば、必要な情報は伝わったことになると思うが、電子レンジの説明をちゃんとおやりになっているこの姿勢が、本全体をつらぬくトーン。しいえていえば「ためしてガッテン」ってところですかね。
 焼き芋、奥が深い。

*追記2
10月17日、NHKの夕方のニュースにて、いも供養の様子が流れていました。私もDさんもIさんも、風景の一部としてちょこっとうつってました。

*追記3
「焼き芋小百科」は、現在、pdfで読むことができます。
 http://www.jrt.gr.jp/yaki_imo/zenbun.pdf

*追記4
2008年はやはり10月13日だそうです。

投稿者 hands-on : 2005年10月13日 13:56 [1ヤキイモタイムニュース!]

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